
名古屋市の大部分は昔、海だったって話は聞いていましたが、名古屋どころか尾張全体、岐阜までずっと海だったとは!
猿投神社に伝わる養老元年(717)の尾張古図
こちらのページで紹介されている「猿投神社に伝わる養老元年(717)の尾張古図」です。地図はねつ造という説もあるようですが、だとしても面白い。
内陸なのに「島」って変なのって思ってた、津島、枇杷島などが、本当に島だったとか。
前に住んでた名東区の「猪子石」って地名はこんな時代からあったんだ!とか。
その猪子石と守山の間は香流川があって低地だけど、当時は入江だったんだ、とか。
そもそも、鳴海あたりの「あゆち潟」の昔の地形を調べていてこの地図を見つけたのですが、今の笠寺のあるあたりも、昔は島だったそうです。
鳴海(今の鳴海より北にある古鳴海)から笠寺観音、熱田神宮へは、海路が便利だったとか。
鎌倉街道その8
かつて、風光明媚な「あゆち潟」だった所は、南区〜港区あたりで、今では大きな工場が建ち並ぶ工業地帯になってます。
古地図を見てると、むしょうに、当時の風景を見てみたくなりますね。
タイムマシンができたら、絶対見に行くわー。
あと、自分の小さかった頃、昭和30年代にも、もう一度戻って、アスファルトで舗装してない道を、当時みたいに裸足にゴム草履で歩いてみたいです。
これが私の究極の夢だなぁ。
タイムマシンは生きてる間に実現しそうにないけど、もしかしたら死んで風になったら、行けるのかも?
日常雑記
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ホントに突然決まったオンエアだったのでしょうか、ちゃんとした公式ページが見つけられないんですが^^;
昨日と今日の2回に分けて、ジャック・アタリ氏のインタビューがNHKで放送されました。
ジャックアタリ「21世紀の歴史」の感想はこちら
この本はすごく面白いので、世界の歴史や経済、近未来予測に興味のある方には絶対オススメです。
今日の2回目の放送では、近未来の予測の部分が語られていました。
経済のグローバル化とアメリカの衰退という、現在すでに起きている予兆をもとに、近未来において、国家よりも巨大化した世界規模の市場経済の論理が優先されるようになって、それとともに、貧困がまん延し、戦争が勃発し…という不安定な状態が起きるだろう、という警告がなされています。
そして、その不安定な状態を克服できる唯一の道が、人々が、自分の幸せだけでなく、他者の幸せを願って行動できるように変化すること。つまり、利他主義で生きることが、当たり前になったときに、世界はようやく安定に向かうだろう、というのがアタリ氏の主張です。
他人を蹴落として自分が生き残るのが当たり前な、現在の常識からすると、180度、正反対な価値観に、人々が転換できるわけがない。
と思う人も多いでしょうが、
私は案外、変わり始めたら、ば〜っといっちゃうような気がします。
日本でも、若い人たちの中にはもう最初からそういうふうに、「人の役に立つ仕事がしたい」って本気で思ってる人が多いし、世界のことは分かりませんが、アタリ氏が言うように、教育の力でも変えられるかもしれません。
とにかくアタリ氏は、できればひどい混乱や殺戮を回避して、その利他主義でつながった平和な地球が来て欲しいと願って、本を書き、講演をして、アフリカで実際にマイクロファイナンスを立ち上げて利他主義的生き方を実践しているということですが、こういう生き方、振るまい方自体が、次世代の「後を継ぐもの」たちにとって、良い手本になる気がします。
つまり、うまくいっていない現状を批判するだけじゃなくて、自分ができる範囲で、ちょっとでもいいから、実際に利他主義的な行動をとるということが、世界を良くしていく唯一の方法だよ、と、言われたような気がしました。
今まで私は本気でそういうこと(他人の幸せ)を考えたことがなかったもので、ちょっと自分の生き方を反省してしまいした^^;
でも
どうしたら、人によろこんでもらえるようなことが、できるんだろう。
ということを、本気で、日々考えて暮らせるのは、もしかしたら幸せなことかもしれません。自分が幸せじゃないときに他人の幸せを願うっていうのは、実際問題ムズカシイですからね。
なので私は、
世界にひとりでも幸せな人が増えて、その人たちが他の人の幸せを願って働いて、少しずつ幸せな人が増えていって、それが地球全体に広がって…そして最後にはアタリ氏がイメージするようなグローバルなひとつの世界、国家ではなく地球上に暮らすひとりひとりの人たちの利益が保証される世界が、魔法のように現れて来るように。
と、星に願ってみようと思います。
“Thoughts Become Things” 思考は物質化する
と言いますからね。日々是夢想(笑)
ローマ亡き後の地中海世界(上) / 塩野七生
3分の1ほど読みました。
ローマ帝国の発展期頃の巻のようにどんどん読み進められないんですけど、それは、およそ10年ほどの年月がたって、私自身の老化が進んで本を読む集中力が続かなくなったことに加えて、中世前期の地中海世界の様相があまりにも渾沌…というか同じことの繰り返しなためだと思います。
ヒーローが現れて、ストーリーがどんどん展開していくようになるには、十字軍の遠征を待たなくてはいけないのか…。
にしても、
西ローマ帝国の消滅後のイタリア半島を防衛線とした戦いは、はっきりと、イスラム教 Vs キリスト教の構図で、国家対国家の戦いではありませんでした。
というのも当時、国家らしい国家がまだ確立していない時期で、イタリア半島は南はイスラム、北はいろんな「蛮族」に侵略されてる状態で、イスラム側としても、民族的にも一枚板ではなかったからです。
で、この上巻には、中世前期のイスラムからの攻撃が正規軍の進攻じゃなくて「海賊」の形をとった略奪から始まった様子が書いてあります。
皇帝や王様が命令して、自ら正規軍を指揮して行う戦争だけが戦争の姿じゃなくて、海賊というような民間が行う犯罪行為を含めた、広範囲な「テロ」も戦争の中で大きなシェアを占めているかもしれないということに、日本人の私たちはあまり気づいてないかも。
日本の近代の戦争を見る限り戦争は国と国が宣戦布告しあってからやるもののように思うけど、実際には、必ずしも特定の国家が指導しなくても、宗教のような、人々のまとまりを維持できるイデオロギーがあれば、戦争はできるということも、気をつけなかればいけないことだなーと思いました。
宗教は必ずしも厳密に宗教ではなくて、文化や民族のアイデンティティの置き換わったものかもしれなくて、教義や宗教指導者によってコントロールできるとは限らないのが難しいところ。
結局は、戦争というのは人間の支配欲の発露であって、神や体制は口実に過ぎないんでしょうね。。
いずれにしても、
最近、日本の自衛隊が、地球の裏側で「海賊」と交戦していいことにしようという案が出ていて、自国の商船を守るための警護は自衛隊の役割だとは思いますが、海賊が必ずしも民間の犯罪者かどうかは微妙なところなので、犯罪摘発→テロ討伐→正規の戦争というように、なし崩しに巻き込まれていく危険性もあるということを、覚悟しておいたほうがよいかも。
ノンポリな私にしてからが、さすがに気になる昨今の世界の安全保障であります。