Category: 生き方

身辺整理

By , 2010 年 10 月 8 日 10:16 AM

春先から、頼まなきゃと思ってた、シルバー人材センターの庭木の剪定。
ようやく電話しました。
1ヶ月半待ちだとか。
11月の末ですね。
寒くなりかけた時期に丸裸になって、木が可愛そうですが。
ごめんなさいねー。

ちょっと家の中の整理もしたいところです。
私の大好きな本たちは段ボール箱などに詰めて押し入れにしまってあったりするのですが、昨日も書いたようにそれはまさに自分の大切なものを狭くて暗いところに押し込めて生きていることの象徴みたいですし、できれば出して、飾るわけじゃないけど本棚に並べたいですね。
今は、元だんなの部屋にしか本棚がなくて、そこに置いとくとタバコのヤニで表紙が茶色くネバネバになるので、大事な本ほど奥に隠すわけですが、隠すから、日の目を見ないですね。私が大事に思うものたちが。

多分、家具の配置を変えれば解決できることのような気がするので、この涼しい季節のうちに、解決策を考えたいと思います。

これからは何事も自分優先で。

帰路につく

By , 2010 年 10 月 7 日 6:28 PM

前のエントリーで「ひとつ終わった」と書きましたが、今日の気分から言うと全部終わった感じです。

この感じ、なんか覚えがあると思ったら、29歳で「もう先生やめよ」と思った時の気持ちとそっくりです。
できることはすべてやりきった。
もうこれ以上やれることはない。

みたいな。

うまくできないからやめるっていうのは、なんか、逃げてるみたいでイヤなんですよね。
自分なりに工夫して、努力して、できることは全部やりきって、「ここまでだ」と納得がいってからでないと、敵前逃亡したみたいで、自分に自信がなくなりそうだし、あとで「もっとがんばれたかも」と後悔しそうだから。

おかげで20代をまるっと棒に振ってしまったけど、現場ではあまり役立たない能力の低い教師だったとはいえ、そこで学んだノウハウは今も、イベント開催とか企画とかに生きているし、がんばったらがんばっただけのことは自分に返ってくるって、自信を持って言い切れます。

それと、いったん納得がいって「やり切った」という確信があるのでもう二度とやりたいとは思わない、というのもあります。
あの、41歳で路頭に迷った時でさえ、学校の非常勤講師に登録するとか、民間の塾や学校で教えるとか、チラッとさえ考えなかったですから。もうその道はやりきったので、これ以上できることはないということに、確信があるのです。

おかげさまで、それまで思いもしなかった、物を売る仕事とか、WEBクリエイターとか(そういう言い方カッコイイ)に挑戦できて、夢だった本の執筆にもちょっとだけど参加できて、ほんと40代もチャレンジ続きだったとはいえ、いい勉強ができたと思います。

だけどそれも、やりきった感が…。
雇われているわけじゃないので、退職などのアクションは起こせないけど、自分の中で、41歳で「むかつきシスターズ」から始めたチャレンジングな活動が、いったん終了したということを感じます。

もう、最先端のWEBの知識の吸収も、ソーシャルネットワークのコミュニティ活動も、各種交流会やセミナー開催も、やりたいことは全部やった感じがしますし、筆文字をはじめとする他のクリエイターさんの仕事も、それがどんなにすばらしかろうと。私には直接関係のないことだな、と感じます。

反面、40歳でやっていた小説を書く作業が途中ですぱっと断ち切られて、登場人物たちも立ち往生したまま放置になってることが、だんだん気になり始めて、あの子たちをなんとかしてあげなくちゃという思いが、私自身の精神的な負担になり始めています。

当時のバージョンでは主人公だった白猫のピースケは、実在のうちの猫だったんだけど、起業直後に、忙しすぎて病院にも連れていけないまま、肺炎で死んでしまったし。

あーまったくありえない。
いつかまたヒマになったら続きを書けばいいやって、軽く考えていたんですよね。
猫も小説も含めて、自分が一番大切と思うものをいとも簡単にそうやって犠牲にしてしまう自分の生き方に対して、どうかと思うわ、ほんと。

実はその話のあとも、ちょっとした小作品めいたものを2本くらい書いたり、むかつきシスターズの出版の企画書を某社に持ち込んで企画会議寸前まで行ったりと、自分なりに本を書くための努力は続けてて、その結果が、セカンドライフ本の中の1章を担当させてもらうという幸運となって結実したと思うんだけれども、コトは本になるかならないかの問題ではなくて、そこに「世界」があることを私しか知らないというのに、売れそうにない話だからといって、なかったことにしようとしている自分が問題。

ピースケと中学生の俊也君は、あれからずーっとその年齢のままで、お話しの世界の中で止まったまま。
大人にもなれないし、どこへも行けず、誰からも顧みられることなく、宙ぶらりんの状態。

しかし、これは物語のなかの架空の人物の話であると同時に、今の私自身にも当てはまります。
ちゃんと自分のストーリーを完成させないせいで、私自身が宙ぶらりんで誰からも顧みられない存在に成り下がっているのです。

どんなにたくさんの人に会っても、何枚名刺を交換しても、この架空の世界が目に見えるようにならない限り、私のことを真に理解する人も現れないだろうということが、よ・う・や・く、分かってきたような。

そういうわけで、
この秋のWordCamp名古屋が終わったら、そういう世界から引退して、元いた場所に戻りたいと思います。
仕事は仕事でやらないといけないけど、無駄にあちこち出歩いても意味ないですからね。

着物再開

By , 2010 年 9 月 22 日 8:46 PM

2ヶ月ぶりの着物教室へ。
ときどき先生のご実家の猫ちゃんが来ているのです。
今日はけっこう暑かったので、壁の陰に入ってまったりしていました。

明後日は 祝2000名達成!ツイッター名古屋交流会9月オフ会 – #twiNAGOYA
春に買った安い木綿の普段着着物に、この間ネットで見つけた3,150円のひとえ帯(写真)で参加しようと思って、お太鼓の結び方を教えてもらいました。

帯はひとえで軽いのですごく締めやすく、色も写真より一段落ち着いた焦げ茶で、ベージュ系の木綿着物に合わせると秋らしく落ち着いた感じになって、まぁほんと3,150円でこんなにシックにまとまっちゃってごめんなさい♪って感じ。帯揚げはモスグリーン、帯締めと半襟は帯と同系色のワインカラーで決まりです。

当日自分ひとりでもちゃんと締められるといいのですが…。

中高年的「成功」のイメージは若い人とは違うのです

By , 2010 年 9 月 15 日 10:14 AM

成功について (内田樹の研究室)

内田樹先生のブログは面白いので、たいへんなアクセス数を稼いでいるようですが、その中身はいわゆる「アルファブロガー」とは一線を画しています。
上にリンクしたエントリーなど読むと、そのことがよく分かります。

IT業界の一攫千金組なら「成功」について、まったく違う視点でエントリーを書くはずです。

若い世代は、成功イコールお金、あるいは大会社の社長になる、高い外車を乗り回す、モデルみたいな美女をつれて歩くなど、ステレオタイプなイメージを追いかけるのが一番、エネルギーの循環が良くなって効率的かと思うけど。

中高年世代にはそういう暮らしって、考えただけで疲れるので(^^;
目標に掲げるイメージとしてはかえってマイナスです。

心穏やかに、静かな環境で、一日の時間をゆったりと過ごしつつ、自分の使命と思い定めた仕事に全力で取り組める。

それが、私たち世代が求める「成功」のイメージじゃないかと思います。
中高年世代をターゲットにしたCMには、よくそういう絵面が見られますよね。
男性にとっては、広い邸宅と高級国産車は外せないファクターかもしれないけど。

ところで、私は先日50歳の誕生日を迎えまして、いよいよ50代の仲間入りを果たしました。
(今年はfacebookとNaviSLというセカンドライフのSNSでお祝いメッセージをたくさんいただきありがとうございました。昔は全部mixiだったんですけどね。お友だちの活動場所が移動しているのがよく分かります)

私はわりと年齢を気にしないタチなんですが、今年に限っては50歳の自分っていうのがうまく受け入れられなくて、年明けくらいから密かに年齢について不愉快に感じていました。

ところで、我が家では今年から、家族の誕生日の日には本人が希望する店へ全員で出かけて食事をする、という新ルールが導入されて、先月8月の次女の誕生日には串揚げ屋へ行きました。
それで、今度は私の番なので、一度行ってみたかった近くの鰻屋へ行ったのですが、その食事の席で、改めて子どもとかから「おかあさん、50歳おめでとう」「半世紀だね」とか、言いたい放題言われたのに、思ったより全然苦にならない。
苦にならないどころか気持ちは非常にせいせいしていて、ふっと、

「ああこれでようやく、人のために生きる人生を卒業して、自分のための人生が始まるんだ」

っていう自分の声が頭の中に響き渡ったりして、マジびっくりです。

子どもたちも、上の子は11月に20歳ですし、下の子も数ヶ月以内に就職先が決まりそうです。
もう私が母親として子どものために活動をセーブする必要は、なくなっていくでしょう。
私が筆文字つとむの世話係を引き受けてきたのも、ひとえにこの子供たちをつつがなく育てるために必要だったからなので、子どもたちの巣立ちと同時に、私が筆文字に果たす役割も終了するわけです。

それはつまり、私にとっては長いこと縛られていた鎖が解き放たれることを意味しているし、多分、私には、今まで発現する機会のなかった才能や能力がまだまだいっぱいあって、それゆえに、50歳にして解放の時を迎えることができたんだと、気の引き締まる思いです。

だって世の中には、子どもが巣立ったと思ったら、親の介護が始まって、一生を他人の世話に捧げる人もたくさんいるわけです。
そういうことのない環境にいられる自分だからこそ、与えられた時間を有効に使って、生まれつき授けられている能力をちゃんとまっすぐに生かして、出し惜しみとかしないで、全力疾走で、いただいたものはすべて世の中にお返しして、全部やりきって、そして穏やかな老後を迎えたいと思うんですよね。

私も若い頃は、自分が成功するために、お金持ちになって、有名になって、注目されたいがために、才能を発揮しなくちゃと思っていましたが、さすがに50歳になると、そんなことより時間切れアウトになることのほうが怖いので、ほんと死ぬ間際になって「ああ、しまった、あのときもっとがんばってたらよかった」なんて思わないように、今できることを最大限やるだけ。それだけですね。

老後の夢は、広々とした田舎の家で、孫ではなくて猫に囲まれてのんびり暮らすことです。
孫の世話はちょっと…ご免被りたい。
居心地のいい老人ホームがあるなら、そういうところで、上げ膳据え膳の生活もいいかもね。
最後はちゃんとお医者さんのいる所で、安心して死にたい。

よく最後は自宅でって言うけど、誰もいない自宅とか死んで発見が数年後なんて怖すぎるので、ぜひ、病院で死なせてください。。

殻も私の一部ではあるけれど。

By , 2010 年 9 月 5 日 2:35 AM

さいきん、妙に忙しいデス。
今日というか昨夜は、WordCamp名古屋の懇親会下見(という名の飲み会?)で、帰宅後、気がついたら倒れて寝ていて、1時すぎに子どもに起こされてシャワーを浴びて、髪が乾くのを待ちながら(短いのですぐ乾くんです)、twitterとか見たりしています。

この調子じゃ、明日もウィンドサーフィンは無理ぽいなぁ。
台風が近くにいるので、風は吹くかもしれないけど、なにしろ暑いし。倒れそう。

この間ふと気になって、今年の1月のブログを見たら、今年の抱負が書いてありました。
その中で、仕事とかお金のためじゃなくて、自分自身のために設定したはずの目標が、まるごとすっかり記憶から抜け落ちて、当然、ひとつも実行してないことに気がついて、びっくりでした。
その目標って、忘れちゃってるんだけど、毎月1本ずつ小作品を書くっていう、ことだったと思います。
昔、毎週水曜日と決めて、メルマガで小説を配信していた頃みたいに、ちょっとずつでも先に進みたいという目標だったはずなんですよね。。

ああ、それなのに、それなのに。

私の現在の仕事は、アートを商品化して販売することで、購入したお客さんはもちろん、クリエイターさん本人が人生を開いていくお手伝いをすること、です。
多分きっと、この件で幸せになるのは、お客さんよりも、つとむ本人だと思います。

だって、人生で何が幸せって、自分が表現したいものを表現して、そのことでお金をもらって生計が立つ。
それ以上に幸せなことって、あるでしょうか。

まあ、ウェルカムボードごときがアートと言えるか!…とおっしゃるクリエイターさんも多いでしょうが(つとむも昔はそう言っていました)、でも、私に言わせれば、自分の名前を冠した商品が売れて、それで暮らしていけるって、それだけでじゅうぶん幸せです。

私なんかまだ、作品のひとつも残していなくて、結果、私が本当は何をやりたくて生きているのかってことが、誰にも理解されていないっていうのに。。。

まったく寂しいことですね。。。
2001年に、つとむが引きこもらずに仕事を続けていたらきっと、私は仕事せず会社も作らず、創作小説だけ書いてたでしょうに(でもそれはまったく売れない小説だったとは思うけど)

でも、たとえ売れない作品でもゼロよりマシというか、今なんか、ビジネスマンとか?謎のネットワーカーとか?セミナーやりたい人とか?自分的には「派生」的側面でしか、認知してもらえないので、ときどき、人といっしょにいても、自分が透明人間になったような…つまり、相手の人の目に「ほんとうの私」が見えていなくて、私は誰か他のヒトの「殻」をかぶっているんじゃないかというような…違和感を感じることがあります。

私の殻に向かってしゃべってる人と会話しながら、私の中身はすごく退屈しているとか。もう、しょっちゅう。

もちろん、筆文字サイトを作ったり、ソーシャルネットワークで遊んだり、好きでやってることですけど、それがメインじゃないんで…。
明らかに違うんで…。

困ったものです。
ま、これも「微差力」で、毎日ちょっとでも先に進むことで、乗り越えていくしかないんでしょうね。。

ちょっと前にセカンドライフにハマっていた時には、アバターの私と、本当の私が、すごく近いキャラに感じて、現実の中で殻として生きるより、SL内とか、SLのアバター名でいたほうが、自分らしいと感じたものです。

そんなわけで未だに、当時のSL仲間の人に対して、一方的にシンパシーを感じたりするわけですが。
…人間って、案外複雑です。

ゆるやかに広がっていく「つながり」の時代

By , 2010 年 8 月 31 日 10:05 PM

8月が終わりました。
毎日「微差力、微差力」とブツブツ言いながら、ちょっとずつ、作業を進めています。
とはいえ、今日はさすがに暑さでダウン。
支払と、英語教室と、税理士さんチェックが終わったあとは、ずーっとテレビを見たりして、遊んでいました。

まぁ自営なんで、日曜でもやることがあればやってるしね。
暇があるときに休んでおかなくちゃ。

明日は用事を入れずに終日作業日としたので、あとひとふんばり、細かい用事を総ざらえしようと思います。

いろんなことに同時にとりかかっているのですが形になるのに時間がかかるので、とりあえず公開可能になった件から報告していくと…

eBayでつとむの筆文字の海外進出を考えているって話は書いたかどうか忘れましたが、そういう計画が進んでいます。で、それに先だって、筆文字つとむのfacebookアカウントを作ってみました。

facebook(フェースブック)というのはハーバードの学生が始めたSNSで、その後一般公開されて世界最大のシェアを誇る巨大SNSに成長しました。言ってみればmixiの世界版ですね。
mixiより後発だけど、自社サービスと連携するためのAPIを公開して、いろんなサービスと積極的につながることでユーザーを取り込み、今では、Googleの利用者を追い越したと言われるほどのネットワークになりました。

最近のmixiが、外部業者のアプリを連携させたりしているのは、facebookの後追いをしていると言って間違いはないでしょう。(その狙いは当たって、mixiもユーザーを増やしているようです)

facebookにアカウントを持っていると、見知らぬ外人からどんどん、フレンド申請が入ります。
どういう理由か分かりませんが、とにかくここは、相手が何人だろうと手当たり次第に友達を増やそうとしている人が、世界規模で集まっている場なのだということが、この辺境にいても感じられます。

そんなfacebookですから、日本人の中でも「次はfacebookだ」と言う人も増えていますが、使ってもらえば分かるとおり、現状ですぐにTwitterのようにブレイクするとはとても思えないので、facebookはもうちょっと「待ち」でもいいかなって、私としては思っています。

というのも、140文字でつぶやくだけのTwitterと違ってあまりにもできることが多いため、流れている情報の種類も多種多様で、しかもアプリ(主にゲームですが)からのレポートは英語のため、タムラインに英語が相当量流れてしまう。
この意味不明な英語が、facebookの仕組みの理解の精神的な妨げになるので、これが日本の一般Poepleに広まるにはまだ時間がかかると思われます。

そんなfacebookですが、とりあえず現時点で、海外の人との距離が最も近い場所なのは間違いありません。
そこで、筆文字の海外向け窓口として、「筆文字つとむ」のアカウントを作ってみたわけです。
eBayでつとむの筆文字を見た人が、「筆文字つとむって、どこの誰だ?」と思った時に、使い慣れたfacebookにアカウントがあればなんとなく安心するでしょうし、気軽に問い合わせをしてみようかな?という気にもなるでしょうから。

SNSというのは、誰かとつながっていない限り意味のないツールなので、今回のアカウントについては、私のアカウントでつながっている人たちに紹介メールを送って、筆文字つとむのアカウントをお友だちとして承認してくれるようにお願いをしました。

ほとんどの方が承認してくれたみたいで大量の「承認しました」メールが届いてびっくりですが、これは私の営業用アカウントなので、こうして協力してもらえるってほんとにありがたいなぁと感謝の気持ちでいっぱいです。
今後は、暇を見て英語で情報発信をしながら、海外の人とつながりを増やしていきたいと思ってます。

商売とか抜きにしても、知らない世界の人とつながっていく、つながりが広がっていく、という感覚は不思議に魅力的ですね。21世紀はソーシャルネットワークの時代、国家、会社、地域、家庭などの既成のネットワークを縦断する、「ゆるやかに広がるつながり」の時代になっていくんでしょうね。

高校バレー部30年ぶりの同窓会

By , 2010 年 7 月 19 日 9:58 PM

正確には、32年ぶりでしょうか、卒業以来初めてのバレー部の同窓会でした。

幹事は2期上のY先輩で、最初は自分の学年を含む上下3期で開催したらしいのですが、好評につき、もう1年ずつ範囲を広げて、今回は都合5期のメンバーが招集されました。

午後1時の真夏の体育館に集合して、いきなり試合です。
私なんか、ほんとーに、バレーの試合は卒業以来初めてで(ソフトバレーを1回だけやったような気はします)、サーブレシーブなんて受けれるわけがないって不安がいっぱいでしたが、だんだん要領を思い出し、けっこう平気でレシーブしてました。
(現役時のポジションはピンチサーバー)(^^;

夜の宴会のときに話を聞くとけっこう、ママさんバレーとか、ソフトバレーとか、なんやかんやバレーに関わっている人は多いみたいです。
私たちの同期のエースアタッカーだった子は、やっぱり今でもママさんバレーチームのキャプテンをしているというし。知らない先輩だけど、今では地域のバレーボール振興の中心になっている人がいたりとか。高校の部活動がきっかけで、卒業後もずっとバレーボールとかかわり続ける人は多いんだなって、卒業と同時にバレーボールも卒業しちゃって今に至るまでノータッチの私としては、けっこう驚きました。

それにしても、私たちが1年のとき3年生だった先輩の上下5期ということは、私たちが最下級生ということでありまして、試合が進むうちに誰からともなく「おい、1 年生、モップ!」と声が飛ぶと、同級生男子が脊髄反射で反応してモップを持って走ってしまうという、まさに当時を彷彿とさせる笑える一幕も。

夜の懇親会もめちゃ盛り上がりました。
私は近くに住んでる友達といっしょに車で参加してて、1次会だけで失礼しましたが、そのあとの2次会では、セーラー服とかチャイナドレスとか、コスプレありの大騒ぎだったようです。
地元のみんなは毎回、こういうノリなんでしょうか。
それとも、この同窓会限定なんでしょうか。

いずれにしても、バレーボールから離れているってことと、地元からも離れて滅多に帰ってないということで、ちょっとドキドキの同窓会でしたが、32年ぶりに出会う同級生のみなさんが、すごくあたたかくて、当時思っていたよりずっと、みんな優しい気持ちでいてくれたんだなぁ…みたいな感じがして、とても居心地がよかったです。

さすらいの転校生の自分としては、幼なじみとか、旧友とかって、私には関係ないって思いがちなんですが、実際にはそうでもなくて、壁を作ってたのは自分の側で、まわりのみんなはごく普通に、そこにいる人として当たり前に受け入れていてくれたのかもしれませんね。。

とりあえず高校の当時は、自分も余裕がなくていつもギリギリな感じだったけど、32年たってようやく、まわりの人のあたたかさに気がつく余裕ができたかなという気がしたり。
友達っていいもんですね(^^;

来年はぜひ、今回参加できなかった横浜在住の我がチームのキャプテン&セッターだったRさんにも参加してもらって、いっしょにバレーをやってみたいです。

7/17 しゃちほこオフリターンズレポート 女性天下が長持ちの秘訣?!

By , 2010 年 7 月 19 日 2:44 PM

7/17(土)はホーム – しゃちほこオフリターンズ 2010/07/17でした。

関東関西四国方面から、30人を超える参加者を得て、盛況でした。
ビンゴの景品にiPadが出たり、偶然たまたまこの日が誕生日という人が2人もいて、バースデーケーキが振る舞われるなど。にぎやかな演出もあり、楽しめた会でした。

全員が自己紹介と近況報告をする時間があったので、eXe会員以外はほぼ初対面の私でも、だいたいどんな人がいるのか分かってヨカッタです。

ただ、全員のところを回って名刺交換をするなどという気力がなかったので、それぞれの人のお名前が分かりません。。こうした、かつて存在したけど今はない場所での仲間というのは、あとから入るのはムズカシイなと思う次第。
(注;このオフ会は旧ニフティサーブのビジネスマンフォーラムのオフ会です)

これは、もちろん、すべてのコミュニティについて言えることで、たとえば、かつてセカンドライフ内に存在したSLCOMというグループが、3年経過した今となっては、当時を知る人にしか意味を持たないのと同じ。

また、次のエントリーに書く予定の高校バレー部の同窓会も、当時在籍した人だから意味があるコミュニティのひとつ。逆から言うと、当時そこに参加していなかった人にとっては、価値を持たないコミュニティですね。

個人的に、コミュニティの生成と維持運営にはちょっと興味があるんですが、コミュニティの継続にとって大切なのは、「昔も今も継続して存在する交流のためのプラットフォーム」だなと、こういうのを見るたびに毎回思います。

プラットフォームっていうのは、たとえばメーリングリストとか、掲示板とか、Mixiのコミュとか、そういう参加者同士が交流できるツールのことですが、古い仲間の輪を維持しながら、ゆるやかに新しい参加者を得ていく仕組み作りと、その運営は、意外と難しいことだと思います。古い仲間の輪を維持することと、そこに新参者を入れていくこととは、根本的に相矛盾することですからね。

とりあえず名古屋のeXeが20年という歳月を経てなお存続している理由は、ひとえに、古い会員だけで固めていなくて、年にひとりかふたりだけど、毎年のように新しい会員を得ているというところにあるのだと思います。
オフの時も誰かが女性の代表が続いたことが秘訣だとおっしゃっていたけど、代表だけじゃなくて、女性会員が相当数在籍して、しかもその発言力が非常に強いというところにも長期安定運営の秘密が隠されていると思います。

なにしろ女性はもともと、仲間を増やすとか維持するという能力に長けていますからね。
太古の昔から、家族を増やし維持することこそ、女性の役割だったわけで。
数万年単位で脳内に作り上げてきたシナプスの配線が、今も、コミュニティの維持運営にそのまま役立つわけです。

男性より女性の発言力が強い集団は長持ちするのは、自然な流れですね。
家庭と同じですね。

以上、話がかなり脱線しましたが、しゃちほこオフリターンズの簡単レポートでした。
当日の私の浴衣写真は、YYさんに撮影してもらいましたので、後日手に入り次第紹介する予定です(^^;

つらつら思うこと。そして同窓会へGO

By , 2010 年 7 月 18 日 9:31 AM

仕事ができるということと、お金が儲かるということは、同じではないし、

いい人であるということと、お金が儲かるということも、同じではないし、

人脈が広いということと、お金が儲かるということも、同じに見えて実は違う。

つまり、お金を儲けたいと思ったら、お金を儲けないといけない。

お金を儲けたければ、お金を儲けなさい。

…と、いうことを、ふと思った。
私を含めてみんな、けっこうそのへんを勘違いして、遠回りしているかも。

儲けるってどうやって?というのは聞かないでね。
ただ、物事を発想する基本として、儲けるということを目標に置いた場合はそこにつながる方法を考えないといけないし、考えたらそのことを実践すべきであって、無駄に走り回るのは百害あって一利なし。ということ。

この感覚って多分、自転車に乗るのと同じで、一度できちゃうとなんてことない、簡単なことなんじゃないかな。

今日はこれから、岐阜県関市の関高等学校で、卒業以来初めてのバレー部同窓会に行ってきます。
この猛暑の中、午後1時の空調のない体育館でバレーの試合をするそうです。
どうなることやら(~_~;)

というわけで昨日のしゃちほこオフのレポートは、また後日。

【読書】はじめの一歩を踏み出そう—成功する人たちの起業術

By , 2010 年 7 月 8 日 10:15 PM

ずいぶん前に書かれた本のようですが、今日、読みました。

私も、自己啓発本やビジネス本は山ほど読みましたが、この本はひさしぶりにすごくヨカッタです。
「願えば叶う」「イメージすれば実現する」系の本も好きなんですが、「えっと、そうじゃなくても、もうちょっとこの…具体的かつ科学的アドバイスをいただけないかしら」と思うこともしばしば。

しかし大企業を例にとった話はぜんぜん参考になりません。
だって私が松下幸之助にはなれるわけがないじゃん?

夜も昼もなく働き通したモーレツ社長の話とかもダメ。
だって私は、会社だけでなく家庭もいっしょに管理しないといけないので、
そういうふうには働けないし、働きたくありません。

そうじゃなくて、自分の人生を大切にするために、どうしたら自分が起業した会社に振り回されず、完全にコントロールしながら、大きく成長させていくかということを、零細な個人起業の場合にしぼって例をあげて書いてくれてるのがこの本。

ひとりでパイを焼いて売っている女性を例に取って、企業の成長のプロセスを解説してくれていて、ちょうど今の私の置かれている状況に当てはまる役に立つ情報が満載でした。こんな零細な起業家をターゲットにした本は、多分、他にあまりないのではないでしょうか。

わたしがいちばん「なるほど」と思ったのは、ひとりの人間の中には3つの人格が同居しているという話。
その3つとは、「起業家」「マネージャー」「職人」。

起業家は未来のビジョンばかり考えて目の前の小さな仕事に集中しない。
マネージャーは、すべてを管理することばかり考えるので、変化を嫌がる。
職人は自分の技術で何ができるかしか考えず、顧客のニーズに合わせて何を作ろうかという発想ができない。

というふうに3つの人格(ペルソナ)は互いに矛盾する方向に進もうとするので、そのバランスを取って、コントロールしないといけない、という話。

ひとりで起業した場合は、自分の中のそうした3つの人格を認めて、生かしていくことが必要というわけです。

これを読んで、私はやっと、最近ずっと仕事に対して感じてた不満が、どこから来てるか分かった気がしました。
今の体制の中で、私は「起業家」と「マネージャー」の役割ばかり求められて、「職人」としての自分をアピールできる場がひとつもないのです。

個人事業の時は、なんだかんだ言ってWEBサイトという「作品」を作り上げて納品するという仕事をしていたけど、今はそうやって自分で実際に製品を作るということから離れてしまったため、私の中の「職人」の部分が「やってもやっても楽しくない」「自分だけ陽が当たらない」と、不満を訴えていたのです。

そう。
誰にだって職人の部分はあるんです。
私にだって、やりたいことはあるんです。
今、それがお金に直結していないからと言って、価値がないとして切り捨ててしまうのでは、いったい、なんのための起業、なんのための人生か、という話。

本によると、多くの起業家は「職人」の部分が強すぎて、他人に作る作業を任せられないために、企業を成長させられない弊害が起きると書いてありました。確かに、社長自らが制作に携わる会社は多いですね。特にデザイン会社とかでは。
その点、私の場合は「起業家」の部分が強くて、いつも、世間を見ていて、自分たちが行けそうな道を探すのが習性ですので、もともと、会社経営には向いているかもしれません。

この本の結論は、フランチャイズ化のススメなので、そのまんま使えるわけではないけど、私も今やってることを他の場面にも応用して、私でない誰かがやっても同じように収益が出せるシステムを考えることは、可能な気がします。
そして新たに、私自身にも活躍の場を用意できるような、事業計画作りをしてみようと思いました。

起業から3年たちましたが、本気で事業計画を作ろうと思ったのはこれが初めてです。
今までは、事業計画なんて、何かを借りるとかそういうときに、方便として提出するもの、としか思っていませんでした。
でも、書くだけで、現実が動き出すような事業計画だったら、それこそまさにファンタジー!
考えるだけで面白そうです!

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