Category: 生き方

2010年ふりかえり〜新しい生き方のはじめ

By , 2010 年 12 月 31 日 3:24 PM

普段と変わらぬ生活をしているので全然年末っぽくないですが、みなさんがふりかえりを書いてるので、私もやってみようと思います。

でも、考えてみると、今年新しく始めたことって、ひとつもない。
ウィンドサーフィンも水彩画も去年始めて今年で2年目。
だから、私の今年のトピックって、あまりないなぁ。

ただ、夏頃に、
自分の感覚の中で「コツン」と当たる感じがあって、
「あ、この道はここが行き止まりだな」
「これ以上続けても、同じことを延々繰り返すだけになるな」
と思ったということがありました。

何かの出来事で誘発されたんじゃなくて、ふっと、こんな気持ちになったということ。

で、それから、自分の中で自然に、仕事も含めた今後の生き方の方向がすーっと見えてきました。

最初は、その見えた内容に関して自分でも「ほんとにそうかな」って自信がなかったけど、秋にWordCamp名古屋が、まさにイメージ通り、想定したのとキモチワルイくらいそっくりな展開で、無事開催できた事実を見て、「ああ、ほんとにそうなんだ」「自分の思った通りにやればいいんだ」と確信が持てました。

人生って、自分の好きなこと「だけ」やっていて、ほんとうにうまくいくんだ。
そんな簡単なものなんだ。
たくさんの人が書いた本でそういう話を読みながら、今までずっと、とてもそんなふうには信じられなかったけど。

でも本当だったんだ。

…。

私は、この一年ほんとうに、やりたいことしかやってなくて、年末もほんとののんびり暮らしていました。
水彩の美しい色に囲まれて、
ウィンドサーフィンでアドレナリン全開になって、
本もいっぱい、古いのも新しいのも、同じように楽しんで読みました。

そうそう、こういう暮らしがしたかったんだよね、ずっと。

そう思うようなライフスタイルを、今すぐ、できることから、やっていく。
それが、幸せな人生を生きる方法なんですね。

私はもともと、ビジネスマンになりたかったことは一度もないし、IT系エンジニアでもないし、主婦でもない。

下手ながらも絵やスポーツを楽しみ、たくさんの人たちが残したすばらしい本や映画を鑑賞して、ゆったりと暮らす。
そして、少しでも世の中のため、困ってる人のため、読めば元気がでたり、勇気を取り戻したり、希望を見つけられるような文章を書いていく。

それがこれから死ぬまでの間ずっと変わらない私の目標です。

…というわけで、2010年は、私の生き方が大きく変わった年でした。多分、ずっとあとになってふりかえったらそういうことになってる、と思う。

みなさんの期待を裏切り、今までのIKUKOさんとは、全然違う人みたいな活動をすると思うけど、でもブログ読んでくれてる人なら、だいたい「なるほどね」「IKUKOさんらしい」って思うような程度のことだと思う。

私って、日記を読んでくれてる人にはちゃんと理解されてる気がするけど、そうじゃなくて、文章を読まずに私と会ってしゃべってるだけの人には、全然違う印象を与えているみたいなので。
実務的とか、しっかりしているとか、頼んでおけば安心なマジメな人とかね。
全然違うというか、そういうのめちゃ負担になるので、今後は、そういうのは辞退していくつもりです。

【読書】ロスト・シンボル/ダン・ブラウン〜空想力は人類の宝

By , 2010 年 12 月 26 日 6:27 PM

作者はあの『ダ・ヴィンチ・コード』を書いた人です。
『ロスト・シンボル』は、『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公ラングトンが登場するシリーズ第三作だそうです。内容は、今回、最後の晩餐とマグダラのマリアではなくて、フリーメーソンと純粋知性科学。

フリーメーソンについてはすでにみなさんもご存じの通り。実在の団体で、日本にも支部があるそうです。あの鳩山元首相もメーソンだと、この本の帯に書いてあります。本当でしょうか。

純粋知性科学については、日本語情報が少ないようですが、これも実在する科学のようです。内容については…ややこしそうなので、本書をお読みください(爆)

とにかく私は、この手の本が一番好き。
壮大な謎と、スリル満点の冒険が詰まっています。
フリーマントルや、アーサー・ヘイリー、ジェフリー・アーチャーやマイケル・クライトンで、育ってきたといっても過言ではありません。
これらの作品群は、誰が読んでも面白い、いつ読んでも楽しめるという意味で、ハリウッド映画のように世界で受け入れられるジャンルだと思います。

さて、本書の内容ですが、ダヴィンチコードを読んだ方なら、違和感なくそのまま世界が続いてる感じだと思います。近所のスーパーの書店に上巻だけあったので、誘惑に耐えられなくて買って帰って、その晩にはAmazonで下巻を中古で購入しました。よく考えたら上巻も中古で買えば良かったんだよねえ。でもまあその場の衝動ですから…。

冒頭から事件勃発、いきなりの大ピンチと、息もつかせぬ展開で、こういうの好きな人なら間違いなく楽しめる、上質エンターテインメントと思います。
こういうジャンルで活躍する日本人作家って、思い浮かびませんね。グローバルに通用するキリスト教や英米世界の題材でないと世界では通用しないので、日本人には難しいのかな。
吉本ばななや村上春樹のようなセンシティブな文学系は、そういう制約を受けないので、かえってグローバル展開に向いているのかも(両者とも日本文学としてはちょっと浮世離れして、西洋チックですから)

ちなみに上のリンク先には、ダン・ブラウン本人によるプロモーションビデオ(日本のユーザー向け・字幕つき)があります。私も本人を見るのは初めてです(^^;

繰り返しますが、私は子どもの頃から、学校や職場のことなど日常の雑多な心配事や喧噪から離れて、こういう架空の世界に遊ぶ時間が、何よりも好きでした。
その世界は架空だと分かっていても、むしろ架空だと分かっているからこそ、時を忘れて楽しめる。
その情報が役に立つかどうかとか、資格が取れるのかとか、本を読んだらキャリアアップできるのかとか、そういう「アホな」ことを考えず、無心にお話世界を楽しむ。

このことの良さと価値を、私の周囲にいた大人はひとりとして認めず、「本なんか読んで遊んでないで勉強しなさい」と、判で押したようなことしか言わなかったけど(なので、本は隠れて読んでいました)

でも、この世にないものを夢見るのは、人間だけに与えられた能力で、人間はその空想をもとにたくさんの発明をして文明を発展させてきたわけなので、その空想能力を活性化するのが悪いことなわけがありません。

それから、自分の子どもを虐待して殺してしまったり、好きな相手に振られたから殺したりするのは、「もし自分がその子だったら」「もし自分がその相手だったら」と、その人の身になって想像する、ということができないためだと思います。もし、殴られたらどんなに痛いだろうって、相手の身になって想像できさえすれば、避けられた悲劇がたくさんあったはず。

人間の子どもは「たまごっち」じゃない。ばしばし叩くのがしつけじゃない。自分の子どもの頃を思い出したらすぐ分かるでしょうに、そんなこと。
…でも、それができないというのは、多分「他人の身になる」という想像力が欠けているんだと思います。

だから私は、小説を読んで空想することは、人間にとって非常に大切なのだ!と確信しています。
映画やゲームでもいいけど、一番想像する力を必要とするのは、文章で体験する架空世界だと思うので、とりあえず小説かなと。

で、気になったエントリがあったのでご紹介。
フィクション欠乏症について – レジデント初期研修用資料
・オカルトの摂取は大切
・フィクションの力
・創造は欠乏から生まれる
・いかがわしいものには意味がある

フィクション(架空の世界)というものに、早くから触れて、「飽きておく」ということが大人として生きる上で大切だという話です。ご一読ください。

私は、いまだにフィクションに飽きないアホな人間ですが、フィクションの世界という「楽園」をいつも持って生きていられる自とが、このうえなく幸せだと感じています。

人生の再構築!

By , 2010 年 12 月 22 日 11:14 AM

実は今、人生の再構築中のため、ブログの更新が減っています。

今後の方向を大きく変えようと思っているので…というか、子どものことも含めて環境が変化したのでそれに合わせて自然に自分のあり方も変化してきていることに気づいたという感じです。

自分が変われば当然、以前に立てた目標や仕事の方向性が意味をなさなくなってくるので、また新たに再構築するというわけですね。

再構築 = Restructuring

日本語で「リストラ」というと、意味が「首切り」になってしまうんだけど、本来のリストラクチャリングは、改めて創造しなおす、という意味なんですよね。
後半のストラクチャリング=構築 の意味を途中でぶったぎっているので、破壊はするけど創造せず、って感じの意味不明なイヤな言葉になっちゃって、これは間違いだと思う。。

で、
今後の人生をどう生きたいかというのは実はすごくシンプルで、それは「自分が何を好きか」とほぼ同義なのです。好きなことを自分の正面に置いて、そのことの優先順位を一番にするというだけのことです。

なんだけど、それが意外とむずかしい。

だって私が好きなのは物語の中の虚構の世界で、生活レベルでは何事につけ空想にふけっている時間が一番好きなんです。自分にそれを許したら、もう二度と正常な社会生活が送れないんじゃないかって、自分でも怖いです。

いったんその世界にハマると、学校とかどうでもよくなっちゃいそう…って思って10代の頃からずーっと浸りきるのをがまんしてきてるのですが。
でもそろそろ、そういう生活させてもらってもいいかなーという感じ。
親の期待にこたえて学校もちゃんと卒業したし、仕事もそれなりにこなしたし、子どもまで産んで育て上げたんだから、もうこれ以上、がまんする理由なんて、ないじゃない?

というわけで。
仕事的にも、生き方全般的にも、ここは大きく目標チェンジなのであります。
もちろん筆文字だけが私の仕事とは、最初から思ってないし。
まだまだがんばりますよ!
ていうか、ワタシ的にはこれからが本番!

…ブログのエントリー的には、
WordPressをはじめとするWEB系ネタが減って、本や映画の話、哲学や歴史の話など、観念的な話題が増えるかと思います。
WEB系ネタを期待している方には申し訳ない。来年はWEB系勉強会の主催もしない方針です。

ですが、またがんばって、読み応えのあるエントリーを書いていこうと思うので、今後ともどうぞよろしく!

自分のための人生が。今ようやく始まる。

By , 2010 年 12 月 9 日 4:24 PM

以前、つとむが望月さんのセミナーに参加させてもらって以来、私も、宝の地図を作ってます。
時間がたつと貼った写真が色あせたり丸まったりするので、作り直して、3バージョン目くらいのを飾っていたのですが、新年を間近に控えていったん全部白紙に戻してみました。

写真を貼っておくだけで自然に願いが叶うというこの地図ですが、たくさんの写真の中にかわいらしいトラ柄の子猫の写真が混ざっていて、まさにそれにそっくり瓜二つな子猫の「しーちゃん」を拾って飼い始めたことだけが実現していて、筆文字年商一億円も、札束の山も、広々とした木の匂いのする家も、ベストセラーになった私の本も、全然ひとつもきれさっぱり実現していません。

「…子猫だけかよ」

というのが正直な感想です(~_~;)
妙なもので運を使い果たしたような。。

さて、来年ですが、大きく目標変更をしようと思います。

主婦から個人事業主になって10年。
長女は成人、次女は就職です。私も50歳になりました。
そろそろ、他の誰かを幸せにするためでなく、自分が幸せになるための、自分を主役に据えた人生設計をしてもいい頃です。
筆文字第一だった目標設定も大きく見直して、本当に、私自身が本心から望んでいる自分の夢を掲げた宝の地図を作りたいと思います。

女性の一生は家族優先。
すべての年代において、自分以外の誰かの都合を優先して生きてきましたが、これからの10年は、私のための10年です。60歳になったとき、どんな自分になっているかと想像すると、多分、今とは全然違う仕事をしてるし、違う場所に暮らしている気がします。。

今ようやくスタートラインに立てたかなという感じ。
がんばって、ちゃんと目標を見据えて、時間を大切に生きようと思います。

藪の中を行こう!

By , 2010 年 12 月 3 日 12:32 PM

2年くらい前だったと思うけど、某セミナー講師の男性とセミナー終了後に雑談していたら「へぇ〜筆文字ねえ。筆文字だけ書いて食べていけるとはとても思えないけど」と面と向かって言われたことがありました。

多分、うっかり口が滑ってしまったんでしょう。
失礼な人だなんて思っていませんよ。確かにうちはそんな儲かってませんし?

ハローワークの求人票を全部探したって筆文字作家なんていう求人はありませんからね。そんな職業でもって生きていけるわけがないと思うのが、普通の羊さんです。
良い学校に入って資格をとっていい会社に就職して…と、親や学校で教えられたことを鵜呑みにして暮らしていると、それ以外の方法で成功してお金持ちになっている人がいるということにすら気がつかなくなるんですね。

私、最近気がついたんですが、この世の中の99%くらいの人は、おとなしくてよく言うことをきく羊さんです。
こういう人は、自分以外のところに「権威」があってその権威の言う通りにしていれば安全だと信じていますから(実際そのとおりなんでしょうし)、ちょっと世の中が見えている羊飼い(会社もそのひとつ)からしてみると、口笛ひとつでコントロールできるいい羊さんなんだろうと思います。
世の中には秩序が必要ですから、迷える羊さんたちは、おのおの好きな羊飼いの元に集まって、ぞろぞろとついていくといいと思います。寿命が尽きるその日まで。

でも、一度、この世の仕組みに目覚めてしまった羊は、二度と元の群れには戻れません。群れを離れてちょっと小高いところに立てば、羊飼いが行こうとする道以外にも、たくさん、おいしい草のある肥沃な土地へつながる小道が見えてしまうからです。もちろん途中にイバラの茂みがあったり、深い川があったりもするけど、でも、自分ひとりならじゅうぶん通れそうです。

私の亡くなった父親も、トヨタ系の会社で役員までやった人だったので、私がやろうとすることすべてに対して「そんなことできるわけがない」「女に会社なんてできるわけがない」「会社ってどんなものかわかってるのか、何億もカネが動くんだぞ、おまえなんかにできるわけがないじゃないか」って否定的な意見を言い続けていました。

父は、大きな群れで動くことしか知らないので、人間ひとりふたりが生活するお金を稼ぐのに何億もの資金は必要ないっていう、子どもでもわかることが見えなくなっていたんですね。大きな会社で仕事をしていたから、世の中のことが分かっているという理屈は成り立たないという良い例だと思います。

世の中にあふえかえっている会社経営やビジネスの本が、必ずしもうちの会社の役に立たないのも同じ理由です。大きな群れと同じルートを私たちが行こうとしてもうまくいくわけがないですね。大きな群れの中にいたのでは決してみえない、藪の中の抜け道を選んで行かないとね。

多分、この藪の中の道をいく感覚は、多くのベンチャー起業家が持っていると思うけど、その真髄を書いた本を私はまだ見たことがありません。スポーツの一流選手がよく、勝つ「感覚」の話をするけど、多分よく似たものなんだろうと思います。すごく感覚的なものなので、言葉で他人に伝えるのはとても難しいのでしょう。

ちなみに、他人に夢を与えるのが仕事です…とか言ってる人ほど、平気で他人の夢を踏みにじろうとするっていうのは珍しいことじゃないみたいです。偶然見つけたエントリーですが…
On Off and Beyond: 他人の夢を否定する人

まあ、他人に否定されたくらいで揺らぐような夢は夢とは言わないし、実現するものは誰が止めようたって実現してしまうので、否定されようが応援されようが、結果には影響ないと思うんですけどね。

自分の道を行くだけですわ。。

夢と空想からすべては始まる

By , 2010 年 10 月 25 日 8:54 AM

昨日は朝からずっとフリーだったのに、ブログ2本書いて、お昼食べて、撮りためたビデオ見てるつもりだったのに、いつのまにか寝ていて…起きたら5時で外は真っ暗だった。。

一日があっというまに消えてしまった…(~_~;)

くやしいので夜になってからせっせとビデオを消化したり、本を読んだりしたんだけど。
結局、落ち着いて本を読めるのは夜なんですよね、なぜか。

今読んでるのはこちら。

この間、本棚の整理をしたときに、この作家の『ぼくと、ぼくらの夏』というデビュー作が出てきて、読み返してみたらすごく面白かったので、その後の活動をウィキペディアでチェックののち、Amazonで買ってみました。

同年代の作家なせいか、話の運びも文体も昔風で(?)、とりたててすごい謎解きとかトリックがなくても、なんだか落ち着いて読んでいられます。
主人公のセリフがフィリップ・マーロウか、ロバート・B・パーカーのスペンサーのパロディぽいのもご愛敬。
と言って、まだ最初のほうしか読んでないんですけどね。

作家といえば、今日の中日新聞に、第14回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した望月諒子という作家のインタビューが載っていました。31歳から書き始めて今回が初めての受賞だそうで「作家として認められれば自分の人生が始まると思っていた。以来20年、人生の始まりが50歳をすぎてしまいました」と語る51歳。

私なんか、多分19歳の頃に作家になりたいなって漠然と思って以来30年以上、回り道につぐ回り道で、まだ1冊の本も出せずに50歳なのですが、でもその間ずっと、この人と同じように、作家になったら自分の人生が始まるって思って生きてたので、まるで自分がコメントしたかのようなデジャブ感です。

だけど、世界には60歳でデビューして何十冊もシリーズものを書いた人気作家もいますし。
50歳なんて全然問題じゃありません。

それより、本を出すとか賞を取るとかに左右されずに、環境がどうであろうと自分らしく、24時間365日、夢と空想と共に時間を過ごせるような人生のほうが、大切かなと、最近は思います。

夢と空想こそが、すべての始まりですから。

アートとビジネスの違い

By , 2010 年 10 月 24 日 1:17 PM

今、会社のサイトもたまには更新しなくちゃと思って、ちょっとマジメな記事を書こうとしたら、途中でわけがわからなくなってしまいました(^^;

言いたいことは、アートをすることは、一般的なビジネスとは何か違うってことだったんですが…

でも、速報:スティーブ・ジョブズ インタビュー@ D8を読むと、ジョブズはお金を儲けるためじゃなくて、ただ良い製品を作ることだけ考えていたそうで、それを額面通りに受け取るとしたら、およそあらゆるクリエイターと同じ。自分が「いい」と思うものを世に広めたい。アートを生業にする人はすべからくそう思ってやっているはず。

それでも、巷にあふれるビジネス本、起業の本などを読むと、自分がやりたいことが何かは別として、お金になることを探してやりなさいっていうのがほとんどな気がする。

お金儲けのヒントはどこにでも転がっています。
以前、農家をまわって野菜屑を無料でもらってきて、洗って刻んで、コロッケの具として総菜屋に売りに行くというアイデアをネットで見たことがありましたが、その類の、廃品リサイクルのアイデアは、多分まだたくさんあるだろうし、自分の労働時間と体力を計算に入れなければ元が無料なので儲かる一方で、ほんと、リサイクル市場はけっこう現金が動く場所なんだろうと思います。

だけど多分、人々がほんとうに求めているのは、ただお金が稼げればいいんじゃなくって、いかにして自分が好きなこと、得意なこと、やりたいことでお金を稼いで生活できるようになるかという所だと思うんですよね。

純粋にお金を稼ぐことが趣味だったり、アイデア商法それ自体が好きという人は、野菜屑商法でもじゅうぶん楽しめるかもしれませんが、それじゃあ問題が解決しない人のほうが多い気がする。

…で、話がそれちゃったけど、とにかく、私は、筆文字を仕事にして3年やった結果、どんなに「やれば売れそう」なことでも、本人がやりたいと思わない限りは絶対にモノにならないということに気づき、「これは普通のビジネスじゃないな」と、考え方を改めているところです。

普通の雑貨販売だったら、売れそうなものがあったら仕入れて売ればいい話なんでしょうけど、作家というのは時として真逆で、社会の中にその商品が欲しいというニーズがなかったとしても、作家本人が絶対表現したい!という強いパワーを発散したらばそこに新たなニーズが発生してしまう、というような。

今はまだ世の中に存在しないものを作り出して、提案するのが作家です。
その意味で、常にまったく新しいコンセプトの商品を作り出しているスティーブ・ジョブズは、作家に近い感性なのかもしれません。

どちらにしても、クリエイティブな世界では「本人の意思」がすべてを決めます。
私が筆文字を売るために東奔西走しても、本人のやる気がなかったら、何をどうしようと絶対に道は開けないということを、私はこの3年で学びました。

そして、私はひとつの真実に気がつきました。
それは、この人が売れても売れなくても、それは私の責任ではないっていうことです。

私が本を書かないのは、他の誰かのせいでないのと同じように。

私は私の人生に責任を負い、つとむの人生の責任はつとむが負えばいい。

それだけのことなんですよね。ほんと。

アートな秋

By , 2010 年 10 月 24 日 11:29 AM

今日はウィンドサーフィンに行くつもりだったけど、寝過ごして出発が遅れたのと、どうやら風が弱く、風向も不順らしい予報を見て、断念。

家人はみんな出払ってるので、これからずーっと夜までひとりの時間です。

なんか…ぞくぞくするほどうれしい(^^;

基本的にひとりの時間が好きです。
好きな本を読んだり、いつか見ようと思って撮っておいた映画を見たり。
ネットでゆっくり買い物をしたり。
ブログを書いたり。

やることはいくらでもあります。

この時間を利用してあいちトリエンナーレを見に行くという選択肢もあるんだろうけど、それより、このたっぷりした時間を味わうほうが質の高い芸術性を味わえる気がする。
そもそも昔からアートを見て心の底から感動したことってないんですよね。。
どちらかといえば退屈で。

私は映画や小説みたいに、ストーリーとドラマがないと、ダメみたいです。

音楽も、音楽だけで聴いてると退屈です。
でもバレエはいいね。
ダンス全般が好きです。
若い頃はモダンバレエをやっていた友達がチケットをくれたので、たくさんダンスを見ました。
自分でもちょっとだけ、ジャズダンスをやっていたというのは、ナイショの話(^^;

しかしストーリーとドラマがあっても、演劇はイマイチ。
これも若い頃は小劇場好きな友達がいて、七ツ寺とか鈴蘭南座とか、よく行きましたけど。
あと普通の演劇も、なんか組合の関係で?けっこうチケットがあったんですよね。あの頃。
舞台にはある種の感動があることは認めるけど、映画ほど没入できない感じ。

なんですが、娘その2が、就職が決まったら、お祝いに宝塚を見に連れて行ってくれと言うので、もしかしたら近いうちに宝塚デビューするかも。
せっかくなので、宝塚の大劇場まで行って見て来たいと思ってます。
ほんと、宝塚ってテレビでしか見たことないんですが、もしかしたら魔法の空間がそこにあるのかも。

しかし、なんのかんの言ってやっぱり、映画はすごい。
このあいだ、TwitterでGyaoの宣伝が流れてたのでふらっとJ・G・バラード原作の「太陽の帝国」を見始めたらすっかり夢中になってそのまま2時間最後まで見てしまいましたよ。スピルバーグほんとに天才だし。
第二次大戦という巨大な歴史の歯車をひとりの少年の目からとらえ直すと、こんなにも生き生きとみずみずしく、その痛みや哀しさを伝えられるなんて。そして映像も美しいし。
原作はかなり読みにくい長編ですが、その土台があってこそのこの深みなんでしょうね。

とにかく、人間の優しさや人生の哀しさを描くのに、映画と小説はいちばん、有効な手段なのだろうと思います。

もしもこのまま一生死ぬまで、私の作品といえるものが作れなかったとしても、それでも私はストーリーとドラマを愛し、空想の中に住む人としての矜恃を持って生きていこうと思います。

身辺整理

By , 2010 年 10 月 8 日 10:16 AM

春先から、頼まなきゃと思ってた、シルバー人材センターの庭木の剪定。
ようやく電話しました。
1ヶ月半待ちだとか。
11月の末ですね。
寒くなりかけた時期に丸裸になって、木が可愛そうですが。
ごめんなさいねー。

ちょっと家の中の整理もしたいところです。
私の大好きな本たちは段ボール箱などに詰めて押し入れにしまってあったりするのですが、昨日も書いたようにそれはまさに自分の大切なものを狭くて暗いところに押し込めて生きていることの象徴みたいですし、できれば出して、飾るわけじゃないけど本棚に並べたいですね。
今は、元だんなの部屋にしか本棚がなくて、そこに置いとくとタバコのヤニで表紙が茶色くネバネバになるので、大事な本ほど奥に隠すわけですが、隠すから、日の目を見ないですね。私が大事に思うものたちが。

多分、家具の配置を変えれば解決できることのような気がするので、この涼しい季節のうちに、解決策を考えたいと思います。

これからは何事も自分優先で。

帰路につく

By , 2010 年 10 月 7 日 6:28 PM

前のエントリーで「ひとつ終わった」と書きましたが、今日の気分から言うと全部終わった感じです。

この感じ、なんか覚えがあると思ったら、29歳で「もう先生やめよ」と思った時の気持ちとそっくりです。
できることはすべてやりきった。
もうこれ以上やれることはない。

みたいな。

うまくできないからやめるっていうのは、なんか、逃げてるみたいでイヤなんですよね。
自分なりに工夫して、努力して、できることは全部やりきって、「ここまでだ」と納得がいってからでないと、敵前逃亡したみたいで、自分に自信がなくなりそうだし、あとで「もっとがんばれたかも」と後悔しそうだから。

おかげで20代をまるっと棒に振ってしまったけど、現場ではあまり役立たない能力の低い教師だったとはいえ、そこで学んだノウハウは今も、イベント開催とか企画とかに生きているし、がんばったらがんばっただけのことは自分に返ってくるって、自信を持って言い切れます。

それと、いったん納得がいって「やり切った」という確信があるのでもう二度とやりたいとは思わない、というのもあります。
あの、41歳で路頭に迷った時でさえ、学校の非常勤講師に登録するとか、民間の塾や学校で教えるとか、チラッとさえ考えなかったですから。もうその道はやりきったので、これ以上できることはないということに、確信があるのです。

おかげさまで、それまで思いもしなかった、物を売る仕事とか、WEBクリエイターとか(そういう言い方カッコイイ)に挑戦できて、夢だった本の執筆にもちょっとだけど参加できて、ほんと40代もチャレンジ続きだったとはいえ、いい勉強ができたと思います。

だけどそれも、やりきった感が…。
雇われているわけじゃないので、退職などのアクションは起こせないけど、自分の中で、41歳で「むかつきシスターズ」から始めたチャレンジングな活動が、いったん終了したということを感じます。

もう、最先端のWEBの知識の吸収も、ソーシャルネットワークのコミュニティ活動も、各種交流会やセミナー開催も、やりたいことは全部やった感じがしますし、筆文字をはじめとする他のクリエイターさんの仕事も、それがどんなにすばらしかろうと。私には直接関係のないことだな、と感じます。

反面、40歳でやっていた小説を書く作業が途中ですぱっと断ち切られて、登場人物たちも立ち往生したまま放置になってることが、だんだん気になり始めて、あの子たちをなんとかしてあげなくちゃという思いが、私自身の精神的な負担になり始めています。

当時のバージョンでは主人公だった白猫のピースケは、実在のうちの猫だったんだけど、起業直後に、忙しすぎて病院にも連れていけないまま、肺炎で死んでしまったし。

あーまったくありえない。
いつかまたヒマになったら続きを書けばいいやって、軽く考えていたんですよね。
猫も小説も含めて、自分が一番大切と思うものをいとも簡単にそうやって犠牲にしてしまう自分の生き方に対して、どうかと思うわ、ほんと。

実はその話のあとも、ちょっとした小作品めいたものを2本くらい書いたり、むかつきシスターズの出版の企画書を某社に持ち込んで企画会議寸前まで行ったりと、自分なりに本を書くための努力は続けてて、その結果が、セカンドライフ本の中の1章を担当させてもらうという幸運となって結実したと思うんだけれども、コトは本になるかならないかの問題ではなくて、そこに「世界」があることを私しか知らないというのに、売れそうにない話だからといって、なかったことにしようとしている自分が問題。

ピースケと中学生の俊也君は、あれからずーっとその年齢のままで、お話しの世界の中で止まったまま。
大人にもなれないし、どこへも行けず、誰からも顧みられることなく、宙ぶらりんの状態。

しかし、これは物語のなかの架空の人物の話であると同時に、今の私自身にも当てはまります。
ちゃんと自分のストーリーを完成させないせいで、私自身が宙ぶらりんで誰からも顧みられない存在に成り下がっているのです。

どんなにたくさんの人に会っても、何枚名刺を交換しても、この架空の世界が目に見えるようにならない限り、私のことを真に理解する人も現れないだろうということが、よ・う・や・く、分かってきたような。

そういうわけで、
この秋のWordCamp名古屋が終わったら、そういう世界から引退して、元いた場所に戻りたいと思います。
仕事は仕事でやらないといけないけど、無駄にあちこち出歩いても意味ないですからね。

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